何を材料に、どんな方法で、何をつくるか、生産のしかたは多様。それを共通性でくくって、グループにまとめたものが産業。産業構造とは、どんな産業があるのか、各産業はどんな大きさなのか、をとらえたものです。では、どのようにしてとらえるか。第1に必要なのは、分類です。いちばん大きな区別は、物をつくるか、サービスかですが、ふつうは第1次、第2次、第3次産業という区分をいちばん基礎的なものとして使います。経済が発展していくにつれて、従業人口は第1次から第2次へ、さらに第3次産業へと比重を移していくということを、クラークの法則、あるいはペティ・クラークの法則と呼びます。日本では「日本標準産業分類」(行政管理庁)で分類を定めています。最新版は1984年(9回目の改訂)のもの。現在のように産業活動の変化が激しいと、分類を見直す必要がとても大きいのです。従来の分類にあてはまらない経済活動がつぎつぎと生まれる。「すきま産業」などとニックネームがついています。
海外での保護貿易主義の高まりに対応して、海外に工場を建設したり、現地の企業を買収したりする企業も相次ぎました。しかし、第1期のリストラには見込み違いもありました。バブルが崩壊したとたんに、高級車ブームは去ってしまい、コンピューター不況でソフト会社の経営は悪くなりました。海外投資の成果もいまひとつです。外国企業を買収したときの借入金に苦しんでいるところも多く、収益強化のためのリストラが逆に収益の足を引っ張るようになりました。1991年からの第2期のリストラでは、事業の拡大よりも事業の整理が大きな柱になりました。バブル景気のころに、企業の事業は飛躍的に拡大し、そのためのコストも膨張しました。その後、景気が後退して売り上げが減ったのに、コストはなかなか縮小せず、企業業績は大幅に落ち込みました。このため、肥大した組織をスリムにして、収益力を強化しようとしているのです。
日本で4位(1998年)の広告会社。創立は1961年(昭和36年)3月、日本の主要な広告会社のなかでは最も設立が新しい。もともとは東急グループのハウスエージェンシー的な会社であった。東京急行電鉄の故五島昇社長がグループ内に広告会社の必要を感じて、東京急行電鉄、東急百貨店、東急不動産の出資でつくったものである。その後グループの取引企業を中心に業績を拡大、創立5年で広告会社ベストテンに顔を出した。超急成長の広告会社である。東急エージェンシーの急成長は、やはりバックにある東急グループの力によるところが大きい。とくに東急系列の流通の力をフルに活用して、多くの広告主に食い込んでいった。たとえば、「広告から販売まで」をキャッチフレーズにした「流通開発室」は新たな広告会社のあり方を示すものであったし、東京商工会議所100年祭、チェーンストアフェアなどの流通関連のイベントにも取り組んできた。その結果としてSP(販売促進)関連の売上高が高くなっていることが特徴のひとつである。